理事長挨拶

選手の自主性と大学野球

愛知大学野球連盟
理事長 新井野 洋一

 

 

平成27年春季リーグ戦の開幕にあたり、ご挨拶申し上げます。

 

最近、スポーツ界では、「選手の自主性」論議が盛んです。そんな中で、野球は別物とする見解も少なくありません。根拠のひとつは、サッカーやラグビーなどと比べ、野球の場合、試合で指導者の関与・介入の機会が非常に多いからだと言われています。1級ごとにベンチを見て監督のサインに従うプレースタイルが、選手の体に沁み込んでしまっているということです。もうひとつは、スカウト活動の頻度と質が高度なことです。小学生の時からプロ野球選手になるまで、スカウト活動によって進路が決定される例も稀ではありません。そこでは、主導権が指導者に握られ、選手は生活のすべてを指導者に委ねてしまう行動習慣が出来上がるというわけです。

 

「自主性」は、ステレオタイプ(=立場によっていろいろな意味で使用される)の言葉です。たとえば、大学教員が自主性を論ずるとき、個人として自立した(=依存しない)意思と判断によって責任ある行動ができる人(材)、すなわち自主性と主体性を合わせた意味を指しているようです。さらには、他人からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する自律性をも加えて、自主性と解釈する傾向も見られます。

 

日常的には、自主性は「言われなくても、自分で考えて動く」という意味でしょうが、企業や社会一般では、前述のような、大学で議論されているような高尚な自主性を要求しているとは思えないということです。まずは、会社や上司の意向や考えを、言われなくても汲みとって行動することを期待しているのです。自分らしい意見を述べたり創造力を発揮したりすることが源泉こそが自主性と言えます。したがって、サインに従う、チームのためにベンチから細かな指示を出すといった、一見指導者の言いなりに思える選手の行動も、指導者の意思を十分に汲みとった結果ならば、盲目的で無知な行動と批判される筋合いはないのです。

 

問題は、「汲みとる努力」をした後の行動かどうかということです。換言すれば、選手は、指導者とのコミュニケーションを大切にしなければなりません。野球に対して高い意識を持って、指導者にアドバイスを求め、自身の考えを伝達することが求められます。特に大学野球選手の中には、将来、選手育成の道に進む者も少なくありません。時には、選手が指導者を育てるといった意味合いを持ったコミュニケーションも必要に思われます。

 

ところで、大学は、『学校教育法』第83条で、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」が目的とされています。つまり、さまざまな知識をより深く掘り下げる場である大学は、汲みとる力を学ぶ場と言えましょう。『学生野球憲章』に謳われている「教育の一環としての野球」をこんな風に受け取ってみてはどうでしょうか。

 

とはいうものの、頑なになったり、焦ったりする必要はありません。とにかく、「汲みとる努力」を意識しながら、素直に大学の授業と野球の練習に励みましょう。そこから、大学生に対する「能力は高校生並みだ」とか「自分のことばかり主張する」「言われたことしかやらない」といった批判を払拭することにつながると信じたい。

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